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震災と行政相談委員

福 田 俊 一
(神戸市垂水区)

 

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悪夢のような思いのする1995年1月17日、午前5時46分頃、阪神・淡路震度7の激震、都市型地震としては戦後最大級の震災となった。
建物の倒壊などの被害を受け高速道路も一部が崩れ、各地で発生した火災は夜になっても燃え続けた。JR・私鉄の不通、交通網の被害、停電、断水が相次ぎ都市機能は完全に麻痺、市民は余震におびえながら不安な夜を過ごした。
被災地では不眠不休で救助救護活動が続けられた。死者 6,300人の惨事となり市民生活に及ぼす影響は図り知れず、想像を絶する被害をもたらした。
私が所属する兵庫県社労保険労務士会も災害対策本部を設置し、関係官庁の要請により被災市民の生活上の不安を解消するため、ボランティア活動として専門的相談窓口ホットラインを開設した。
政府は災害対策救助法の適用地域における健康保険料、厚生年金保険料、船員保険料、児童手当金拠出金の納入を当分の間その期限を延長、緊急雇用保険対策について、雇用調整助成金及び失業給付の特別措置が実施され、地震に伴う休業期間中の賃金の取扱い、労働災害の認定等、次々と発表し、現場の状況が分かっているのかと疑問を感じたこともあったが、関与先の要請によりバス・自動車を乗り継ぎ現場へ駆けつけた。
第2次大戦の空襲を思わせる悲惨極まりない麻痺状態であった。震災により21社の事業所廃止、圧死による従業員の死亡8名が確認され、その対応に追われていた。あまりにも大きな代償だった。
また、地域では小学校体育館の避難所170名の被災者の相談と食事の世話が夜遅くまで続いた。
震災により会社から解雇された。会社が雇用保険に未加入であった。救済措置はあるのか。労基関係、被災者雇用奨励金、雇用維持奨励金等の相談など、社会的生活問題解決のために自発的・奉仕的に取り組んでいた。
これも各団体の皆さん方の、寒さの中積極的に御協力を戴いた賜物と感謝しています。阪神大震災から1年有余がたった。人々が負った傷はまだ癒えていない。今後はまだ仮設住宅で生活を余儀なくされている方達に対し、心のケアを真剣に考えなければなりません。私達は、取り巻く環境の変化の対応と、相談に応ずるための知識と涵養と信頼の高揚に努めなければならないと思う。
それに忘れてはならないのは私達はかけがえのない多くの命を失ったことだ(自宅の机上の5時46分に壊れたままの時計の前で記す)。

 

 

 

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